彼女の人生に自分の人生を照らす
2016年9月26日月曜日 人生
昨日朝7時に電話が鳴った。学生時代の友達だった。仕事バリバリのキャリア組。不眠に悩み自称情緒不安定。6年前に親の大反対を耐え抜いてようやく結ばれたはずのちょっと歳の離れたAmerican年上夫と離婚した。結婚してる間ももちろん仕事は続け、単身赴任してた時期もあった。
キャリア志向は強かったけど彼女はずっと子供が欲しくてやっとおめでた、と思ったら日頃の無理が祟ったのか体調崩し流産してしまった。
「私がこんなに辛い思いをしたのに、夫はちっともわかってくれない」
この先子供はどっちでもいい、という彼とは将来性を感じることができずに円満離婚したという。
その1年後に久しぶりに会った彼女は輝いていた。元々自分の魅力をよく知っている自信に溢れる美人だったが、キャリアアップしてやりがいのあるポジションにつき、ますます生き生きとしていた。
その時は国際協力の分野でアフリカのバンドのイベンターみたいなことをしていて、語学が得意で外交的な彼女には一日の終わりに
I change the world.を実感できる仕事だったと思う。
離婚の直後は精神的にも肉体的にもしんどかったというがそれさえも勲章のように彼女は笑顔で語ってくれた。そして、
「今度はもっといい男を見つけて子供を持つ」と夢を語った。
私は彼女を小学生の頃から知っているが、こんなに強い女性だと知らなかった。振り返れば、普通の公立小学校・中学校とでて、そこそこいい公立高校、でも、そのあたりでトップではないのんびりした校風の私と同じ高校に進学し、彼女は外語大に進んだ。大学時代にアメリカ人の彼氏とつきあっていると風の噂に聞いた。
すべて順調に見えた。
結婚したのはそのアメリカ人の彼氏だった。反対していた両親を時間をかけて説得した末にもぎ取った勝利だったそうだ。
その彼女が今朝、また不眠で苦しんでいる。ストレスがすごくて、と電話口で言う。処方された薬を飲むと生理が止まってしまう。「それで漢方薬に切り替えてカウンセリングのほか医者ももう一件脳神経科まで行ったのね」
「まで」とは彼女の弁。自分の人生いいところまできたと思うと必ず邪魔が入ると嘆いていた。
「泣きながら運動して、泣きながら買い物してる。」
と日々の生活をそんなふうに訴えた。
そう彼女は彼女なりにいろんなセラピーやヨガ、習い事などして努力している。多分、いろんなこと頭では全部わかっているのだと思う。何を言っても「うん、わかっている」という。
私:「少し、いろんなことし過ぎで逆効果なんじゃない?」
彼女:「うん。それもね、去年休職して漫画読んだり、本当に何もしなかった時期もあるのね。」
私:「だめだよぉ、漫画は。たいてい恋愛ものだから。」
彼女:「そうなの、読んでも泣いてばかりいたの。今はちょっと前から韓流ドラマ見てる。」
ああ、そうなんだ、
言ってることとやってることがちがうじゃない、
ってことに彼女は気づいていない。
彼女の苦しみを
「好きで自分を憐れんでいるだけでしょ。誰かに同情してもらいたがってるだけだよ。」
と取り合わない友人Aがいる。Aは独身時代いろんな男に遊ばれて女友達の家に泊まって泊まりに来ていた友達の彼氏に乱暴されても「私が騒がなければ何も問題ないしぃ?。」とやりすごし、つきあっていた彼氏の子供を堕したこともあり、とけっこう波乱万丈の20代を送りながらも30過ぎて外科医と結婚し一度は流産も経験してるけど、今じゃ立派な二児の母。翻弄された20代を生き抜いて今はタフな勝ち組にはいったAには今泣いて泣いて涙の止まらない負け犬の苦しみさえもシュミに見えて自分の生活とは別世界らしい。確かにAには野性的な正しさがあってそれが今の彼女を作っているのだし、彼女のいうことも一理あるのだが、学生時代はその二人の方が私よりも結びつきが深いように見えたのに…妙なものだ。
私は彼女の立場とも同情ともまた違う視点から彼女のことが見えた気がする。何を言っても「うん、わかっている」と答える彼女は気づいていないんだ。わかってると思ってることわかってないのに。
ただ空を見ること、木を見ることでもっと「わかる」こと、感じることがあるのに。
子供が欲しいと焦る彼女にとって生理が止まるというのは、私には想像を絶する耐え難い辛さだろう。ストレスを減らすための薬がきっと彼女のストレスを生み出してしまっているのだろうな、ということは想像できた。
迂闊なことは言えないと思ったけど、
「子供は、いざとなったら科学の力でタイムリミットが延びてきているし、いろんな方法があるのだから、それよりまずあなたが元気になることが今は一番なんじゃないのかなあ」と恐る恐る言ってみた。
「うん、わかってる。実はね、去年ちょっとつきあってた男の人がいて…」
と朝っぱらからヘビーな話の展開なのだが、かいつまんで話すと、彼女は妊娠して中絶したのだという。
「まあそんな時期に付き合っていた私も悪いんだけど、」と前置きし、
「今は薬飲んでるから、こういう精神状態だから、って相手の男性には服用薬の全部を並べて見せて事情を説明したのに」
と相手を非難していた。言わなかったけど、私はこう思った。
それって男の人のせい?自分が欲望に負けたんじゃないの?
そんなふうな自意識だから、Aが切り捨てようとするのかもしれない。
できたとわかったとき、嬉しさとどうしよう、産めない、という気持ちを両方で引き裂かれそうだった、という。
でも、薬を飲んでいたので、おろすことを決めたという。
自分も同じ立場に(立つこと自体できずにいますが、もし)置かれたら同じ判断をするだろうけれど、
「これは残酷に聞こえるかもしれないけど、子供が欲しいと言っていたあなたにどんな子が生まれてくるかわからない状況を突きつけられてその子の人生背負ってこの先生きていくのか、って考えた時に自分が独りで生きる道をあなたは選んだんだよ。だからね、まず自分が元気にならなくちゃ。」
つい言ってしまった。
多分、そんなことも彼女の頭の中ではとっくにわかっていたことだろうに。
「うん、そうなんだよね。わかってる。」
やっぱり彼女はそういった。
自分がメンヘラだからか、専門家でもない人間が安易に人を励ましたり分析したりするのは危険だと思う。でも、そのとき私に見えたのは、ああ、これがちょっと前までの私なんだ。ってこと。
同じ穴、ではないけれど、さっきまで私も近所の穴に落ちてもがいていた。それが見えるようになっただけ、少しは上に上がれてるのかもしれない。そんなふうに彼女を見下して自分の位置確かめたいわけじゃないんだけど、彼女の言葉に自分を映して前よりはっきりどこがいけないのか見えるようになった。
前のことを悔やんでも仕方ない。見えない未来を憂いても意味無い。今の自分のおかれた状況をしっかり見つめるしかない。
それで、自分の求めているものと違う、と思ったら引越しとか転職とか物理的な力も借りつつ、とにかくできることから自分を変えていくしかない。そんな一大決心するだけの力もお金もないときは部屋の模様替えでも習い事でもいいのかも。でも、今の自分の状況を認めようと思うことができないうちは何かやっても身につかない。
本当は心がけ一つ変われば世界は変わって見えるけど、環境も変えたほうが効果は断然早い。
私はまだ自分を認めることができない段階だけど、認めなければならないことは理解し、認めようと思えるようにはなってきた。この差はわずかだけど、大きい。よじ登るきっかけをつかめるか、つかめないかの第一歩と言っていいかもしれない。
振り返れば、後悔すること、恨めしいことは誰にでもいくらでもある。
それを「私の人生は不幸の連続で失敗だらけだった」と泣いてみたところで、なんのプラスにもならない。ただ自分を追い詰めるだけ、というのはいやというほど経験済み。私も思っていた、
「私、失恋するために生きてるのー?」みたいな、何もかも間違ってとんでもない袋小路に迷い込んでこのままどこにもいけないのではないか?という絶望的感覚。
まるで去年の自分を見ているみたい。
それが、こうしてブログ書き続け、書くことでわかり、頭ではなく心で「そうなんだよね」と受け止められるときができてきたように思う。
引っ越したり習い事したりするお金も気力もないけど、私にはブログがあった。書け、と言ってくれた友達がいた。読んでくれているあなたがいる。それで今の私がいる。まだへなちょこで危なっかしいけど前よりマシになってる実感ある。本当にありがとう。
人はまっすぐには生きられない。メンヘラもしかり……当たり前か?
わき目も振らず、自分の目指す道がはっきり見えていてそのためにどうすればいいかわかっている人ならまっすぐ進んでいる感覚があるかもしれないけど、たいていは、どこを目指していいのかわからず、何かを目指さなければならないものなのかどうかもわからず、何かに迷い何かに躓いたりするものだ。
「智多くして憂い多し」って、こういうことなのだろう。いろんなこと見えてしまわなければ、ただお金稼ぐこと、使うことで人生の有限の時は面白おかしく過ぎていくかもしれない。
金持ちの心持ちも賢者の憂いも私にはわからないけれど、彼女の嘆きはわかる気がした。私が彼女に言えるのは、空を見上げて、森に包まれて、海に入って、何か感じて、ということくらいだった。言わなかったけど。
彼女は先週鎌倉に散歩に出かけたという。でも、鎌倉は元夫と別れた地で歩けばいろんなこと思い出す。お宮参りの家族連れ、デートしてる若者、すべてが痛くて涙流しながら散歩したと言っていたので言えなくなった。
そりゃ、そんな思い出の地に独りで行くなんてそもそもミスチョイス。何を見ても泣けるのは自分だけが一番かわいそうと憐れんでいるから。その点では友人Aの指摘は正しいだろう。自分が惨めで悔しいから泣く気持ちはわかる。でも、憐れむ自分の贅沢に気づいて欲しい。
実際の彼女は私よりずっと給料もよくて独りでマンションも買っていい暮らしをしている。習い事したり、スポーツジムに通ったり、アフター5にコンサートやバレエを観に行くような優雅な生活をしている。それでも彼女は全然満足していないのだ。
彼女の奥に眠る私の人生はこんなもので終わってたまるか、I don’t deserve this.という気概みたいなものを揺り起こして欲しい、と思った。
人間て頭でっかちだからすぐに転ぶ。躓く。
心の中で彼女にエールを送りながら、きっとその気概こそが今私に必要なものなのだろう。と感じた。
私は自分を一番かわいそうと思っていない。
世の中もっと大変なことと戦ってそれでももっと立派に生きている人がいっぱいいる。この程度で自分を不幸なんて思ったら申し訳ない。
人からは自虐的といわれても嘆く、自分を鼻で笑う自分がいる。ああ…メンヘラだ。
好きで泣いてるんだから放っておけ、と冷たく見放す友人Aの視線も自分自身で持ち合わせている。
それが却って自分を傷つける場合もあるけれど、どん底の一歩手前で留めておいてくれているような気もする。
別に彼女に私の辿った道と同じ方法で這い上がれ、とはいわない。思わない。これがベストってわけでもないだろう。ただ私はこうするしかなかった、と言うだけの話。それで仕方ない、と腹を括れた、というだけのこと。
だから、彼女もいつか泣き止んで腹を括って進む気になって欲しいなあと願うだけ。
でも、案外人の願いや祈りってパワーあるんだよ。
私はそれを信じてる。コメントしてくれる人や黙って読んでくれてる人が応援してくれる力、うんうん、て共感してくれる力感じてるから。
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