病気と病院とメンヘラと…
ちょうど、ちょっと前から胸が痛いのが気になっていて考えてみると私、病院嫌いで健康診断嫌いで大学3年の簡単な健康診断を最後になんのチェックも受けたことないなあ。でも、話には子宮検診とか直腸検診とか乳癌チェックとかどんなことやるのかボンヤリは聞いていたので、やだなー、病気になってもいないのに病気を恐れてそんな恥ずかしい目に遭いたくないよーって拒否反応起こしてた。
なにせ人のお見舞いで病院に足を踏み入れただけでビョウキになったような気がしてしまうほどの病院嫌いなのだ。摂食障害持ちのメンヘラが病院嫌いだなんて矛盾しているようでそうでもないような? まっそれはどーでも良しとして……
子供の頃から動物好きで「獣医さんの知識と技術」に憧れないでもなかったんだけど、あれも一種の病院じゃんと思えば夢見る気もなくなるほど・・・あ、うそ。数学できないだから理系にいけなかっただけ。
ともあれ、『飲尿健康法』なんてのがあるんだけど、健康のためにおしっこ飲むって時点ですでに私の判断基準では不健康。で、人間ドックとかもそんなふうに病気に怯えて暮らす時点で「生活に負けてる」って思ってたのね。
この「生活に勝つか負けるか」つうのは20年来の私のテーマなんですが、またいづれ別の機会に説明を譲るとして、病院行かないで手遅れになるのと未病を防ぐってのが二者択一の問題なのかどうなのかわからないけれど、わたしはきっと諦めがついたら病院に行くメンヘラである。
病気なんだ、って認めたら助けを求めて行く、そういう臆病なメンヘラだと思う。それで「臆病な人間」と認めて告白しただけでそのままにしておいていいのか、っていうと、このところ相次いで、親しい人を「手遅れ」で亡くしているので、そのそれぞれの生き様というか死に様というか生々しい闘いの一端を垣間見て、本人だけじゃなく周りの家族とか愛する人々の気持ちとか考えると「そんな我儘なこと言ってちゃいけません、てめえ一人で生きてると思うなよ、」っていろんなこといっぺんに沁みてくるんで、もういろんなことごちゃまぜで罪悪感あるんだけど基本的に自分で病気と認められないと病院に足を向けないのはまちがいないと思う。
「病院には行きたくないけど病気だったら治したらこの不安定な心とおさらばできるかもしれない。回復のためには、まず最初にこう言った日常生活の中に潜んでいる過剰な見捨てられ感をチェックすることが必要になります」だと。
これ、思い当たることアリアリ、ありすぎ。そうなんだよね、小さい頃から死とか夜とかいろんなことが怖くて寝つきの悪い子で先に親が寝入ってしまうだけで自分だけ取り残された気がしたし、隣で寝ている母親が寝返り打って向こうを向いただけで、昼間はこっちを向いていて相手してくれるけど本当は私のことを好きではないのではないかと不安になる、そういう子供でした。
やっぱりそういう『人のせい』にするのは気に食わなかったけれど、中に治療の一環として「書くこと」が勧められていて、患者さんの書いた文を読んだらこんな些細なきっかけがこんな症状を生み出すの?っていう。それは小さい頃大人同士の会話に加わったら相手に見えないようにお母さんにお尻をつねられたという話で、自分の発言は忘れてしまったけれど、その時私が安心して大人の会話に加わっているときに、母親から、不意にお尻をつねるという形で警告が発せられたのです。
しかも、私には何がいけなかったのか理解できなかったのですが、ひどい失敗をしてしまったという脅えがあるのです。
そして、「なんで裏でコソコソしなければならないのか」という不快感もあります。私がまずいことを言ったのなら、正々堂々とそれを指摘すればいいのに、世間体を取りつくろうかのように、背後から手を伸ばして来るのです。
こういう、セコイやり方に対する不快感があるのです。しかし、どういうわけか、これとは反対に、母と裏側で繋がっているという、妙な一体感もあるのです。人から見えないところで、母が秘密の合図を送ってくるので、二人だけで秘密を共有しているような、 共犯者的な一体感があるのです。実は、ほかにも似たような体験がいくつかあって・・・
え、その程度で病院に行かなければならないほどの『病気』になっちゃうの?
って正直思った。この人は省略した部分に繰り返しそんなことがあったことをわりあい客観的に書いてあって読み進むとそれなりに説得力はある。私と同じじゃん。て。
本来社交的な性格なのに
「あんなこと人様に言うんじゃありません」
って後から、窘められることが多くて、
「一言余分」
ってのが私のキャッチフレーズみたいなものだった。今もそれは治ってないけど、生意気なガキだったのでどこに行っても『出る杭』は打たれて、子供の間はいつもびくびくしているようになったんだ。
ああそうか、だから「言えないこと」「書く」んだ。
その上、現実を正しく認識できないので、肥した「一体化へ夢」を追い続けることになります。
なんて書いてあったので、そう、それでいつも男の人に失望して恋に破れていたんだ!って思い当たることばかりで夜には「アタシ本当にビョーキなんだ」ってわんわん泣いてた。
決定的なのが、だれからも愛される人という、ありもしない架空の人物像に憧れたり、理想的な恋人との巡り合わせを願ったりします。
現実をありのままに見ることができないため、たとえば、たちの悪いヒモに貢ぐ女のように、相手の男を理想的な男に仕立ててしまいます。だって。
なにこれ!?それで彼はあんな完璧な人なわけ?もしかして実在しないわけ?
ああ、もうだめだー賢者の友が本気で心配してくれるわけがわかってしまったけど、心配されたくなかった。彼は架空じゃないと信じていたかった。
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