犬猫の感覚を共感したいメンヘラ女
犬とかネコとか生活を供にしてますので、鼻の感知システムの精度はあえてかなり低く設定されてるような気がします。これってどういう意味なんだろう?動物臭いのを気にしないように生活してるって意味?
それとも、嗅覚は動物に任せて自分の鼻はさぼっていても安全なところで暮らしていられる、ってことなのかな?
人って面白いよね、それぞれ反応が違う。メンヘラな私は動物と一緒にいたら、同じものを見聞きし感じたくなる。
小学生の頃、放課後は猫を追って塀の上を歩き、犬を見習って地面に新聞紙敷いて四つんばいになって過ごしていた。
自分のうちの塀の上歩いていて裏の畑のおじいさんに叱られた。自分ちの塀の上なんだから歩いたっていいじゃない、怖いおじいさん、と思ったけど、今他人の子を叱るということができづらい世の中になって貴重な体験だったと思うようにしている。でも、心のどこかで迷惑かけないから塀の上くらい歩かせてよとまだちょっと反抗心もある。危ないから叱ったのか、行儀悪いと叱ったのか、そのおじいさんはだいぶ前になくなったのでわからない。畑はマンションになった。
一昨年上の階が火事になり、それを知らない一階の住人が庭に洗濯物を干していたので、たまたま両親の旅行中留守番していた私はその塀を飛び越えて洗濯物を取り込み、窓を叩いて住人を呼び、上が家事ですよ、と知らせた。
ボヤで済んでよかったけど、「火事場の馬鹿力」なんていうけれどいざとなったら塀を越える身軽さが自分にまだ残っているのを知って驚いて、ちょっと安心した。
毎度のことながら話が逸れた・・・戻します。
犬の耳や鼻はすごくいい、なんて言われるけど、人間は地面から離れたところに耳や鼻を置いているから感覚が鈍っている、っていう面もあって犬と寝起きを共にすると今まで聞こえなかった音や嗅げなかった匂いがわかるようになるらしい。だから、実験していたの。新聞紙敷いていたのは、泥だらけになると母親に怒られるから。
犬や猫の目の高さになって、鼻の高さになって彼らが何を見、何を嗅ぎ取っているのか私は知りたかった。嗅覚の鋭さの違いなんか考慮に入れないで、少しでも彼らの感じていることを感じたかった。そういう子供のまま大人になったので、今でも犬がクンクンしているものに自分も鼻をつけてしまうようなところがある。
彼が何を感じ取っているのか知りたい。共に感じたい。
メンヘラな私には、どうやらそういう欲望が強いらしい。
で、それが普通と思っていたので、冒頭の言葉はかなり衝撃的でした。ああ、そうやって、犬猫とちゃんとけじめをつけた大人の生き方もあるんだ。って。それでどうやって犬猫と暮らしているんだろう。私は越えられっこない線を越えることを目指してぐずぐず馴れ合いになってしまう。
それで犬に便利使いされているメンヘラ女……。
先代の犬も今の犬も私を通訳に使う。「あれ、貰って」と欲しい物を持っている人に直接おねだりしないで私に貰わせようとする。
犬より鼻の悪い私は犬の下っ端。ボールが茂みに入っちゃったから取って?とか言われてる。(苦笑)パシリに使われているのです。
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