メンヘラの人生
メンヘラにとって、この傷つきやすい世の中をなんとか渡り歩いていけたらどんなにいいだろう、と昨日の昼間思っていたところです。でも、私にはそれが許されていないみたいです。
誰かが許可するものなのかどうかもわかりませんが、メンヘラな自分は、そういうふうに創られていないみたいなんです。
彼に支えてもらうしおらしいかわいさはないし、彼と向き合ったら、思わず変な顔してふざけてしまうか、真剣だったら見つめ返すだけの自信やガッツがなくてこっち見ないでぇ?って刃物振り回すようなアブないメンヘラだし、それでも一人で生きていけるほど強くないし…結局私が求めているのは肩を並べて同じ方向を見てくれる人のように思います。
私にいろんな世界を見せてくれる人、私が間違えそうな時、過ちを教えてくれる人、そういう意味で頼れる人を求めているように思います。
こんなこと昨日までボンヤリしかわからなかったのにね、だんだん形が見えてきたんです。
「あなたが歩みたいイバラの道は所詮一人で歩くしかないんだよ、だから茨の道なんだよ」としばらく前に、賢者の友人が教えてくれたのだけど、私はいまだにその覚悟ができなくて、道標を示してくれる人、一緒に歩いてくれる頼もしい人を求めているような気がします。
早くそんなの幻想だ、って自覚しなくちゃいけないんだけどね、今は一緒に歩いてはもらえなくても、この先進んだら、元彼が待っていてくれる、そこから先に本当の道が拓けているってそんなふうに信じていないと、また寝太郎決め込んで生きるの諦めそうなので、騙し騙し生きているところ。
早く彼の高さまで登りたい、と思うとき、自分の感受性が邪魔で、足を引っ張られているように思って苛立っていました。それを繊細といわれて、なんのことか本当にわかりませんでした。説明してもらって他人に向けられた言葉にまで勝手に傷つくのは「繊細」なんてイイものでもないだろう、と自分ではやっぱり認めることができません。この、メンヘラの傷つきやすさを理解してくれて「おーよちよち」って可愛がってくれる人の胸で甘んじていられるには歳を取りすぎたのかな。
こんな感性だから、外国の方が暮らしやすいのです。右往左往して、自己主張していかないと生き延びられない環境の方が、自分と喧嘩している場合ではないので、とりあえず休戦協定結んで生きることにだけベクトルを向けられるので楽なのだろうと思います。(実際海外にお住まいの方には何甘いこと言ってるんだよ、って聞こえるかもしれないけど)
だけど今、以前書いたように今年海外に出られなかった、ということは、よく自分を知れよ、もっと自分と話し合えよ、その場しのぎの休戦協定ではなく、恒久和平に向けて解決の糸口を探れよ、ってことなのではないか、と思うようになりました。
この先もうこうして自分と喧嘩しなくて済むように。妙に卑屈にならずに済んだらどんなに生き易いだろう。長年そんな生き方をしてきて今更急に変われるのかわからないけれど、今の卑屈を取り除いたら、謙虚さのない傲慢な人間になってしまうのではないかと怖ろしいのだけれど、もう自分にあまり目を向けないで、内のことと外のことと自然な比重で同じ視線で物事考えられるようになりたい。ティーンエイジャーのような過剰な自意識を追い払うにはそんな方法しか思いつかない。成長したい。
すべてはGOOD TIMINGで私のためによかれ、ということしか起きていないと信じています。前に書いたように彼と別れてからの私の人生はLUCKYなことしか起こっていません。それは、いろんな場面で感じるシンクロニシティーや投げかけられる言葉がすべて私に必要なものと実感できていることや、まだまだ人生の幸運はたっぷり残ってるという占いの結果や南の島に旅立つ時に賢者の友人が幸運のてんとう虫がついた四つ葉のクローバーのカード送ってくれたから。
もう最強にLUCKYで恵まれたメンヘラなのです、私は。時々悪いことが起きるのは自分で自分をドツボににはめてるだけ。だけどそれが自分の人生を歩いていく、ということなのでしょう。きっと、いいことだけだったら私は何も学ばない。学べない。そういう怠け者の人種なのだと思います。
そう、旅行したり買い物したり、それを純粋に楽しんで人生を謳歌できる人がいたとして……私にとって旅行は逃げか学びかでしかない。旅行どころか生きて行くこと全部。そういう卑しいところがあるんです。消費することを楽しむ現代人になれていない。ああ、だから、先進国じゃないところにばかり行きたがるのかな?いつかちゃんとビョーキを克服して、自分のバランスが取れてコントロールできるようになったら、見つかるかしら、私の国。行けるようになるかしら。その時もきっと独りなんだろうな。それで納得しているんだろうな。
だったら寂しさなんか感じなければいいのにな。
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