犬の死と後悔の思い
高校3年のとき、初めて犬を見送りました。小学校の時から一緒に育った育ての親みたいな犬だった。外犬だからあんまり長生きしなくって、いろんなこと後悔したなあ。ふざけて意地悪したり、散歩さぼったりしてたから。しばらく具合が悪くて獣医さんにも来て貰ったけどよくならなくて、5月の月曜日の夕方、今まで聞いたことのない声で吠えた。母が「お別れの挨拶をしているんだよ。ありがとうね。さようなら」
まだ生きている犬に向かってさようならする母が信じられなかった。
そんなふうに諦められなかった。死ぬとは思えなかった。
でも、母にはわかっていたのだ。
その晩、虫の知らせがして11時頃、外に出てみるともう息をしていなかった。それまで、私にとって犬は「生きている」のが当たり前で初めて「死ぬ」んだ。ってことリアルに感じた。それまで、お爺ちゃんやおばあちゃんの葬式で死体やお骨を何度も見てるのに、ね。
翌火曜日の朝はそれまでに見たことのないようなきれいな朝焼けで家族全員の目が赤かった。
よくペットは先に死ぬからイヤだ、って飼わない人いる。
だけど、死んじゃうのは飼い主のせいじゃない。
先に死んじゃうけど生きている間も死ぬ時もいろんなこと教えてくれる。私も死なれるのは辛いけど、今この場に生き物がいない、ってことのほうが辛くって、一年の喪に服した後新しい犬を飼いました。というかその時は父親が連れてきたんだけど。犬のいない一年は火の消えた家庭だったように思います。
その子犬は始めから「死に至る存在」だった。今は元気な子犬もいつかは前の犬のように死ぬんだ…って。だから、つい甘やかしちゃって結構気が小さい内弁慶な犬に育ってしまった。それで線を引くことの大事さを思ったんだ。(多分、この言葉、「一線を画す」みたいに受け取る方が普通なんだろうな、「けじめをつける」というべき…と夕べ思って、「けじめ」なんて言葉が死語になっていることに気づき愕然としました。)
犬の救急医療の本読んで勉強していた。いろんな蘇生術身につけて、何が何でもこいつは死なせない。息が止まっても心臓が止まっても獣医さんに連れ込むまで心マッサージとマウス トゥ マウスの人工呼吸し続けてでも生きさせる。そう思っていた。
私のこと「ママ」って呼んで、私も「世界で一番かわいい子」って呼んでた。すごくヤキモチ焼きでね、子犬の頃私の母親がふざけて私に抱きついたら「ボクのママ!」って母親に抗議して反対側から私に抱きつくの。うちの母親意地が悪いから面白がってね、
「あんたヤキモチ焼いてるの?生意気ねーこれは私の娘よ」
と私を自分のほうに引き付ける。犬が反対側で「ワン!」て言い返して私の皮膚に爪が食い込む。私が家を出てしまったら私の前でだけビッコひくようになった。他の家族の前ではぴんしゃん元気なのに週末に私が会いにいくとビッコひいて物陰に隠れてしまう。
「犬は好きな人の気をひきたくてわざとじゃなくてこんなふうになっちゃう」
と妹が教えてくれた。で、私が引き取った。
犬が年取ってから私がローズマリーの鉢植えを買ってきたことがあったの。冬だったのでコタツの上に鉢置いて可愛がっていたら、出掛けて戻ってみると鉢植えは立ったままなんだけど、ローズマリーの枝に犬の毛がたくさん絡み付いてるの。
「ちょっとぉ、私のローズマリーちゃんに何したの!」
って抗議しても知らんフリ。バックれている。
でも、絶対なんかしてたんだよ、そういう犬なの。
爺と付き合ってる頃ね、よく怪我してた。出掛けて帰ってくると猫にやられていたり、枝が耳に刺さっていたり、有り得ないような怪我してた。
天罰かと思ったよ。
神様、罰するなら私を罰してください。コイツは関係ないじゃないですか、って恨めしかった。もうきっぱりやめますからこいつを傷つけないでください、って。
でもね、こうも思ったんだ。ヤキモチ焼きのこいつがメンヘラの気持ちが違う方に向いていることを察して自傷行為に及んでいるのではないか?って。爺に言ったら「まさか」って取り合ってくれなかったけど、とにかくどんな理由であれ、
「もういっぺんちょっとでも何か悪いことがうちの犬の身に起こったらさよならするから」
って宣言していた。別れたくない気持ちと別れなきゃって気持ちがせめぎあっていて犬を楯に使ったみたいで、…ああ、なんて私って卑怯なヤツなんだろう。自分のためだけだったら別れられなかったよ、きっと。
これまた外犬でね、年取って私が引き取ってからは、足拭いて家にあがってよいことにしたけど、フローリングの上だけ、センターラグや座布団に乗っちゃダメ、台所は行っちゃダメ、ってけじめつけて暮らしてた。キッチンの前で入りたくてうずうずしてるのわかるんだけど、そこには確かに見えない線があって彼は決して越えようとはしなかった。
それがね、今の3代目、捨て犬だったんで人間不信になっちゃいけない、ものすごく気弱で臆病なのでなんだか不憫でつい甘やかしちゃって、始めから自分は内犬だと勝手に思い込んでる。座布団だろうがなんだろうが人が行くところは全部自分の領分だと思ってる。犬用の寝床があるのに夜中にふと気づくとちゃっかり人の枕の横で一緒に寝てる…子犬の頃はぬいぐるみみたいでかわいくて抱きかかえて寝床に戻していたけど、気がつくとまた横にいる。兄弟4匹で捨てられていたうちの一匹なので、
「兄弟押し合いへしあいして寝てたのが恋しいんじゃない?」
なんて妹に指摘されたらもうダメ、
布団から追い出せなくなってしまった。(失笑)
11月だったし。これから寒くなって風邪でも引いちゃいけないし、なんてね。ぐずぐずでけじめつけられなかった。
でっかくなった今も膝枕して背中とんとん叩いてやるとすうすう本気で寝ちゃう。犬としては、どーなんですかぁ?
天敵に備えてセンサー張り巡らせよ、って思うけど、で、確かに昼間誰かがいるとそうやって寝てるけど、私しかいないとセンサー全部切って寝てる。熟睡してる時おなか触ってもぴくりともしない。
気許しすぎ?っ!私はそんなに善人じゃないぞぉ?っていうんだけどね、
「でも、ボクのこと好きでしょ?」
って上目遣いにみる。人の心を見透かしたように
「ボクのこと嫌いになれないでしょ?」
とメンヘラの目を覗き込む。
勘違いもここまでいくとご立派。そう、勘違いなんだよね?私コイツのことあまりかわいいと思ってなかった。
前の犬がかわいくてお利口だったので、ちゃんと留守番もしてくれて人との生活をうまくしてくれていたのに、コイツはおバカちゃんで生活のルールを全然覚えてくれないし、お留守番できないし、…うそ。そんなのは子犬なんだから当たり前。
今の犬を可愛がれなかったのは前の犬に義理立てしていたから。死んじゃったからといって、新しい子犬が来たからと言って、また同じように一からかわいがることは、まるでその犬がいなかったかのように振舞うみたいで、犬なんてその存在を語り継ぐ友達や親類縁者や子々孫々がいるわけじゃないんだから私が忘れてしまったらこの世にいた証しがなくなってしまうようで無条件に新しい子犬をうけいれることができなかった。
一週間前から急に食べ物を食べられなくなって毎朝病院に連れて行って点滴と注射してもらっていた。その前も脳梗塞とかいろいろやってなんか顔が非対称になっちゃって、…あのね、毛皮に目が出るところの穴が開いてるでしょ?
その穴と目の位置がずれちゃって、毛皮を手でずらさないと目が見えないって状態でしばらく元気に生きていたのよ。ああ、これ着ぐるみなんだ、中に犬が入ってるに過ぎなかったんだ、って初めて知っちゃった。
とにかく一週間の看病疲れでその夜私はむちゃくちゃ眠かった。寝なきゃ、明日また車運転して獣医さんに連れて行くんだからしっかり寝ておかなきゃ。玄関で犬が呼んでいた。行ってやっても私にできることなんか何もなかった。睡魔が私を布団に貼り付けて放さなかった。もう起き上がる力がなかった。犬のうめき声が遠のいてはまた近づいた。
「がんばれ。朝まで頑張ってくれ。朝になったら病院が開く前の時間でも連れて行って獣医さん無理やり呼び出して診てもらうから。朝まで持ちこたえてくれ」
そう思いながら意識が遠のいていった。一瞬眠りに落ちたのか落ちなかったのかわからない。この声は聞き覚えのある声だった。前の犬が発したお別れの言葉。私を呼ぶ声。引き剥がすように力を振り絞って布団から起き上がり玄関に行くとそこにはもう覚悟を決めた犬がいた。
「もうお別れなんだ」
見えなくなった彼の目がそう教えてくれた。
ああ、もう何をしてもダメなんだ。
メンヘラって、そういうのを一瞬で悟るもの……。
それなら苦しまないで行かせてあげよう。
「わかったよ。ありがとう。今までありがとうね。」
さっきから彼がずっと待っていたのは私の別れの言葉だった。
ちゃんとお別れしてから行こうと、彼は待っていてくれた。
大きくひとつ息をして、その吐く息と一緒に口から出て行ってしまった。
それまであんなに「死なせない」と思っていた意気込みは何の役にも立たなかった。先立つ者は見送るしかない。生き物は生き、そして死ぬ。当たり前の、どうしようもない中で私たちは生きている。
時計を見ると12時を回っていた。ウィットに富む彼は命日を選びたかったに違いない。なのに、私が、睡魔に負けて、自分の欲望をコントロールすることができなくて、彼の命日は10日になってしまった。ごめんね。ごめんね。
ちゃんとお別れの挨拶しても心が残った。いつだって、どんな別れ方をしたって悔いは残るものだろうけれど、私は彼の呼ぶ声よりも私の欲望を優先させてしまった。睡魔に負けて一時ウトウトしてそばにいてやれなかったことを今も後悔している。寝ることなんていつでもできるのに。寝なきゃいけない時いつも眠れないくせに。
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